国家と国境について一言


1997年11月19日


熊谷卓哉




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 はじめまして、熊谷卓哉と申します。肩書をそえるなら、世界市民主義者、哲学者、ということになると思います。哲学者の数多の
悪癖の一つである引用癖をさっそく発揮するなら、カール・ヤスパースは次のように述べています。
 「世界秩序とは、絶対的な主権の放棄だけでなく、人類のための従来の国家概念の放棄を意味するであろう。行きつくところは、一つの世界国家ではなく(これは世界帝国であろう)、法的に限られた地域の自治体たる諸国家の、討議と決議において不断に更新されゆく秩序、すなわち一つの包括的な連邦制であるだろう。」(『歴史の起源と目標』世界の大思想40,p.187)
 これをもとに、世界連邦、世界政府が作られた後の「国家」「国境」像を描くならば、「国家」はもはや「国家」ではなく、「国境」はもはや「国境」ではなくなる、と明言せねばならないと思います。国際連合と世界連邦を隔てる一線とは、後者では「民主的な方法で選ばれた立法府が存在し、全人類はそこで定められた世界法に従わねばならない」という一線です。そうである以上、世界連邦下に包括された現在の「国家」が主権を保留するということは、ありえないことです。世界連邦と主権国家とは両立できません。「全体としての人類の秩序という主権以外に、何らかの主権が残っているとすれば、非自由の源泉もまた残っているのである。何となればそもそも主権なるものが、力に対するに力をもって自己主張せざるをえないからである。」(ヤスパース前掲書、p.186)。このように世界連邦に属する「旧主権国家」はアメリカ合衆国の各州と同様な自治体となり、仮に国家主義者のノスタルジーに配慮してそれを国家と呼称し続けるとしても、そこには従来の国家概念との決定的な断絶が存在しているのです。
 従って、「旧主権国家」の境目である「国境」ももはや「国境」ではなく、「県境」や「州境」と相対的にしか異ならない境目となるでしょう。そこでは「世界的な過疎過密」が起こらないか?世界政府も国境もない状態、つまり完全な無政府状態下では、おそらく起こるでしょう。しかし、今日それが起こっていないのはそれほど肯定的に評価できることなのでしょうか。現在多くの人々が国境を越えて労働しようとしていますが、その多くが無下に追い返されるか、きわめて不利な条件での労働に従事することを余儀なくされています。それを正当化する根拠は「国が違うから」という一点にあるわけですが、それでは「違う国がある」ことの正当性はどこからきているのでしょうか?どの国に生まれ落ちるかは偶然の出来事です。同じ人類でありながら、ある人々が「よい」ところに住み、ある人々は「つらい」条件下に住み続けねばならないという偶然。偶然得た利益を享受し続けようと思うなら、何らかの正当性を示すことができねばならないのではないでしょうか。経済的格差に関しても同じことが言えるでしょう。国境によって得た経済的優位は正当な優位なのでしょうか。
 確かに国境によって「世界的な過疎過密」が防止されていることは、人類全体の利益かもしれません。しかし、全体の利益の為ならば、そこに属す何人かの個々人の不利益は容認されねばならないという発想は、功利主義的には正当でも正義には反しているのではないでしょうか。むしろ、「世界的な過疎過密」を国境という冷たい壁で防ぐのではなく、世界政府によって民主的に決定された、地域振興策、経済的利益の再配分案、によって防止するのが、人類全体の利益と人類個々人の権利とを調和させる方策と言えるのではないのでしょうか。
 世界市民主義者は、「なぜ国境を無くさねばならないのか?」という問いにしばしばさらされますが、むしろ私は「なぜ国境があってよいのか?」と、国境の正当性を問い返したいと思います。

 追記 途中「正義」なる言葉が登場しました。哲学に関心のない人は、私を「感情に訴える人物」と感じ、関心のある人は「剽窃漢」と感じたかもしれません。そこでここでの論旨がジョン・ロールズの『正義論』を参考にしていることを、申し添えておきます。

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熊谷 卓哉

kumagai!ipc.hiroshima-u.ac.jp

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コメント

 前略

 論文を有り難うございました。「記事・メール」のページ
http://www3.justnet.ne.jp/~toshio-suzuki/article.htm の
「国家と国境について一言」のページ
http://www3.justnet.ne.jp/~toshio-suzuki/kumagai.htm の
ページに載せました。
 私なりの解釈によると、先ずヤスパースによれば、行き着く世界秩序は世界国家というよりも、旧主権国家が地方自治体のようになった連邦制になるだろうということで、世界連邦ができたら主権国家はそれに従属し、国境は県境や州境のような存在になるということであり。後半では、正義の観点からは、国境による格差は認めらず、世界政府による民主的な解決が必要だ。ということかと思います。
 正義、人道が世界を動かすのには時間がかかりますが、結局はそれが決定因だと思います。私の論文では、「人々の支持」と書きましたが、本質は同じだと思います。マハトマ・ガンジーは「真理」と言ったそうです。日本語の「水」を英語では"water"と言い、ヒンズー語では「パニイ」と言いますが、結局は同じものですね。
 世界連邦建設同盟(以下、建設同盟)の会報に載った「世界連邦運動の現状」(「記事・メール」のページの「世界連邦運動の現状」のページにあります。)にも書きましたが、私の考えでは現在の世界政府運動があまり進展しないのはアメリカがその運動を促進しないからだと思います。だから、アジアの国々が協力しないと進まないと思います。
 一つの国家が存続する条件の一つとして、国民が草の根レベルで意見や情報の交換ができるということが必要だと思います。日本が江戸幕府の時代から明治政府の時代になって、国内での戦争は完全になくなった根本的な原因はこれではないかと思います。太平洋戦争では、日米の国民はほとんどコミュニケーションがありませんでした。話では、当時の庶民はアメリカには化け物みたいな人間が住んでいると思っていたそうです。「鬼畜米英」の言葉ですね。しかし、今やインターネットにより世界中が草の根レベルで交信できます。現在は日本以外のアジア諸国のホームページは少なく、私のメールと論文を送るのにふさわしいホームページはあまりありません。アメリカには読み切れないくらいの関連ホームページがあります。日本では、建設同盟のホームページが1年ほど前にでき、私のホームページは今年の5月に公開しました。熊谷さんのホームページとリンクで結んだのはつい先日でした。しかし、これからはどんどん出来てくると思います。

早々
鈴木俊雄

コメント−2

 上記のコメントを熊谷氏に送ったところ、熊谷氏の言う「正義」はJ.ロールズの「正義 "justice" 」であり、私の言う「正義」とはイメージのずれがあるそうです。熊谷氏からのメールにその説明がありましたが、そのメールは、私個人あてのメールだということですので、ここでは公開しません。関心のある方はは、氏に直接おたずね下さい。